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世界で起きている現実。

物心ついてしばらくの年齢まで、

広島で育った。学校の教育現場で、

広島に落ちた原爆の事実を、

平和の大切さを伝え聞く。

図書室には、はだしのゲンの漫画や

原爆の日を描いた絵本などあって、それを読んでは、

なぜ?なぜこんなことに、

こんなことになっているんだと、

つらくて胸が苦しくなった。

ほんの小さい頃は、外国という存在は知っていたけど、

国境という言葉は理解しておらず、

戦争の意味もわかっていなかったが、

怖いということ、いつ何が起こるかわからないという

ことに対しての恐怖は、その強い衝撃が

強い引き金となったのだろう、

ほかのいろんなことも巻き込んで、

体の根底の根底に太い根のようになって私の中で、

常に不安を感じている。

これは、大人になって自身の分析をして、

思ったことだか、半世紀生きてきて、

一生このままのような気がする。

そして、だけれども、その不安と同じ層には、

ご飯が食べられて、太陽の光を浴びて、

布団で眠れることの今この瞬間にある大切さを

絶えず、私に忘れないようにしてくれている。

大人になればなるほど、ありがたいことなのだと。

それが、平和の尊さでもある。

戦争は、大切な文化もいろんな築きあげた様々なものを

人の力で、一瞬でめちゃくちゃにしてしまう。

そして、一番は、命を奪ってしまうこと。別れがあること。

とても悲しいことと。

昔、まだ、人々が、世界の果てがわからなかった頃、

海を渡っていた時代は、未知の開拓をして、

言葉だったり、文化だったり、違いがわからなくて、

攻め込んだり、よく話し合いもせず、いや、話し合いとか

したかもしれないが、やったもんがちの、

強引さが横行したりと、とにかく必死の戦いをしていた。

ある程度、わかりあったとしても、

何度も何度も、領土争いをして、二度の大戦があって、

まだ、問題解決していないこともあるけれども、

なんとか、今こうして、世界の平和を保とうと、努力し続けている中、

強引な方法で、始めたこの侵攻は、言葉を失う。

しかし、世界では、絶えずいろんな策略は止まることなく、

水面下で、何がどうでとかは詳しく知らないし、わからないけれど、

ずっと続いていることも、理解はしている。

そう、世界では、もちろんそういったことも含めて、

紛争なども完全にはなくなってはいないけれど、

完全にはこれからもなくならないと思うけれど、

世界の主要な国たちが平和を保てないと、本当に、どこを、軸にして、

希望を持って、この地球上にいる我々は、生きていけばいいのかと

本当に次の世界大戦が起きてしまったら、

地球の終わりだと恐怖でしかたない。

広島の原爆ドームを訪れるたびに感じることがある。

川沿いの街を歩いていると、

本当に穏やかな”気”を感じるのだ。

あの原爆投下された日もそのあとも、

つらい地獄であった場所は、

今は穏やかで安らかな”気”が流れている。

元々、私が知る幼少の頃からそれよりも前から、

平和公園もあって、道幅も広くゆったりとした場所だったが、

年々、その”気”が増してきている気がする。

これは世界中から訪れた人たちの

平和への祈りがそこにたくさん集まってきて

人々の思いがそこにあることを感じるからなのと思う。

それは強い気持ちのあらわれでもあるのだ。

人々の思いは目に見えないけれど大きな力となると信じている。

どうか、この世に生まれてくることだけでも、

たいへんな中、生まれてきて生きる権利を、居場所を、

人為的に強い権力によって奪わないでほしいと、

切に思う。戦いが始まってしまって、失う命。

私には、思うことしかできないけれど、

大切な命、大切なものが守られるよう、

一刻も早くおさまることを心から祈る。

そして我々もしっかりとしなくては心を強くする。




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